前回の続きです(*^_^*)
そう、それはいろり。
いろりをみていて、いろいろ考えたのであ~る。
(奧の毛皮はもちろん熊w)
ご飯食べ終わって、夕食も朝も、しばらく、いろりを見てちょっと、いじったりした。
家の中で 燃えているのに、もう墨になっている為 まったく匂いと煙がない。
(墨の木の種類、品質にもよるらしい)
時々 パキッ・・と、木が割れて 音が鳴る。
飽きない・・・。
見ていると なんか静かさと相まって、心が落ち着くというか。
いろりは 墨のくべ方で温度調節も可能で、あったかい~。
上では いろんなものを干し、保存食を作って
いつでも、お湯を作って お茶を飲み、
燃えかすの灰は、貴重な畑の肥料になって・・捨てるトコがない。
実に理にかなっているな~~・・・って思ったぞよ。
かまどが登場するまで、ここは主な台所でもあって・・?
昔のサムライとかが、いろりを囲んで、刀片手に
日本の未来は、、、とか、話したりしていたのかな~・・
TVのない、音のない時代 寒さに、親、子供、みんな、いろりのそばにいて、
この木の鳴る音と、時々する 会話だけが響くかね?
何も無かった時代だからこそ、会話が多かったかな~・・?とか。
山里のおじいちゃんが、前に
「いろりがなくなり、家族団らんの場所もなくなり、みんな部屋にこもる。
一番いけないのは、飯をくったあと、「お茶の時間」がなくなったことだとオレは思ってるんだ。
あれがないと、子供、夫婦ふくめ、会話する機会が減るだろう?
夫婦も、子供も とかく人間関係、会話がなくなることに、良い事はありゃしねえぞ?
会話しなきゃダメ。」
といい、よく上条に「アキちゃん ○(相方)と会話しているか?」と
孫とうまくいっているか的な事を言ってくる。
いろりを見ていて、それを思い出した。
うちは、一緒に過ごしている時間はすごく多いと思うんだけど、
お互い好きなことをやって同じ方向を向いていない事がある(^^;;
(過去にも それを感じて よし!一緒に何かやろう!ということで、取り入れたのが
「共同プレイが中心の一緒に出来るゲーム」で、今はモンハン3トライGをやっているw)
何もない空間を作らないと、ちゃんと向き合う時間は減るんだな~・・と
そんな話を いろり見ながら、相方と話していた。
相方もそう思ったようで、お互い ちょっと見直す機会をもらい、そこで
旅行から 帰ってきて、TVやネットのない ただのダベリコタツ部屋を作りました。
冬の休日だけ その中でも たま~~~に あえて1時間ぐらい 時間を作り
そこでお茶とおやつ持って否応なしにダラダラとおしゃべりしようかねのシステム。
まだ、一度しかやってないけど、この時は 相方の学生時代の話を聞いた。
今になって ふりかえると、「~~だったんだね、この頃はw」と認めたり、わかることがある。
お互いまったく違う人生を送ってきたんだな~、、って当たり前だけど感じた。
おやつ食べつつ、お茶のみつつ、何もない部屋で小一時間ダベる。
今後も たま~にしようと思う。